来世は猫になる

スローライフで、生きてたい

叔父からの電話

 

そいえば先週くらいに叔父から電話がありまして、

 

「正月はちゃんと帰ってくるんかーー?」

「カニとか用意しとくよー」

「全然帰ってこないねー」

 

とのこと。

確かに今や正月の一泊二日しか一年で帰省していない。前会った記憶がうる覚えなくらいに。そして自分もいつの間にか成人し、それに伴って叔父たちの年齢も上がったんだなーって考えると、しんみりしますね。。

 

「いつまでも元気じゃない」

 

本当にもういつ死ぬかなんて分からないですからね。定期的に顔は出すべきだなと思ってはいるけど距離が距離なだけに中々行けていない。

 

でも一年で二日しか会わないとすると。

仮に叔父たちが20年無事に生きたとしても、40日しか会わないって考えると少ないですね。700日中40日と考えると尚更。んーーー。 

 

さすがに正月は顔を出すとは決めてるんですけどね。そこだけはしっかり実行していますね。そしてしっかりと喋る。うん

 

それに死んでからじゃ意味がないとも思いますし。

もっと言えば危篤状態に会ってもそんなに意味はないとも思うんですよ。

 

駆け付けた人は「良かった、間に合った」って言っても危篤本人は意識がほとんどないんですから、これは駆け付けた側の自己満ですらありますね。駆け付けないよりは良いんですけど。危篤本人からしたら元気な時に来てほしかったはず。

 

それに危篤状態に駆け付けるぐらいなら、しっかり元気な時に会って、会話する。それができてる事が重要な気もします。

 

僕自身、祖母はすでにガンで亡くなってしまったんですけど。でもしっかり意識のあるうちに病院で喋ることができていたので、後悔はあまりなかったですね。

 

ちなみに、葬式は国公立の二次試験の日とかぶってしまいさすがに行けなかったですね。

こればかりは親も、「試験日は仕方ない。試験頑張り」ってなりましたね。まさかかぶるとは思わなかったですね。落ち込んだ気分で試験を受けましたが無事受かったので良かったです。

 

後は葬式に関してもハデに葬式をやる人ほど生前しっかり亡くなった方と時間を取れなかったのかなー。とか思いますね。「せめて葬式だけでも。親孝行しないと。」みたいな、自責の念というやつでしょうか。不慮の事故とかはまた違ってきますけど。

 

だからこそ生前しっかりと時間をとれていた人ほど葬式は質素でしんみり終わったりするのかなー?とか思いつつ。

 

とりあいず死んだら終わりですからね。本当に。生きてるうちにしっかりとちょくちょく時間を割くことが大切だとおもいますね。

 

若い人なんか特に自分が年を取れば取るほどパワーが満ち溢れますけど、それに伴って祖母たちは老いていきますからね。祖母たちの年を聞いた時はびっくりしましたよ。「そんなに年取ってたんだ...」みたいな。

 

まぁだから、死ぬ前に顔出して、喋る。これですね。