来世は猫になる

スローライフで、生きてたい

「普通とは何か」疑問を感じ始めた今日この頃

 

この日本において、何だか当たり前とか普通でいるためにすることが多くて、めんどくさいなって思うときがあるのです。

 

「このご時世大学くらい出なきゃダメよ?」

「これからエーアイの時代だからもっと学ばないと落ちこぼれるわよ?」

「大学に行く?就職する?仕事する?パートナーを見つける?結婚する?車を持つ?マイホームを持つ?子供を作る?子育てをする?立派な親になる?老後のために貯金する?老後までは仕事一筋?それが当たり前?定年後に第二の人生?みんなと一緒に苦労?」

 

自分より下の子はさらに大変だとも思う。気づけばプログラミングは必修化されグローバルという言葉をよく聞かされ、普通になるために勉強することが増えてる。

 

やんなきゃだめなの!?え!?

 

難なく出来る人は良いが...

 

おそらく半分以上は難なくこなすだろう。しかし必ず一定数これが普通じゃない、無理な人がいるはず。もしくはこの普通に疑問を持ち、他の生き方を模索し始めた界隈。

 

この人達からすると息苦しいだろう。そして自分もこの普通にあまり魅力を感じていない。それに視野を広げると、色々な生き方をしている人がいるんだなってつくづく感じる。

 

また、成功した人や満足した人ほど「人生は短い。好きな事や熱中できることに全力をそそげ。」という。

その理論でいくと自分が嫌な事はやらなくて良いんじゃないかと思う。いややらなくて良いと思う無理に。

それを世間は「逃げ」というらしいが。。。↓↓

www.seeneko.com

 

それにこの「逃げ=悪」というイメージが生きにくさを生んでいるのかもしれない。

 

 例えば、人間関係とかは居心地が悪ければ逃げても良いと思う。

 

無理に合わせるなんて消耗するだけだし、そもそもたまたま居合わせただけの人達を全員好きになれって方がおかしい。価値観なんて全員違うのに。

 

ある京大の教授は、「多様性は、「みんな色々でいいですね、楽しいですね!」ではない。大嫌いなやつ。絶対合わない、目も合わせたくない。そういう奴も含めての多様性だ。」と言っていた。

引用元:

世界が滅んでも生き残るため、京大生よ変人たれ。酒井教授が語る、カオスに立ち向かうための「京大の役割」 | 360˚|京大発オンラインメディア

 

だからそもそも価値観を理解してもらおうなんて思わなくて良いし、そこで不毛な消耗はしなくて良い

いちいち説得するなんてシンドイでしょ?

他人は他人で今まで培ってきた価値観や誇りがある。だから万人に理解されるなんておそらく無理だと思う。

認めなくても良いけど存在だけは認めておく。そして価値観があう人と巡り合ったときに語りあうのも良いと思う。 

 

だからこそ合わない奴がいても良い。そして所属コミュニティーを自由に移り変われることが大事だと思う。逃げというよりかは場所を変える。適材適所を探す。

これが出来る環境、みんなの認識、の整備が必要だと思う。

 

ブラック企業だって気軽に逃げるという選択肢が取れるならば被害は減るかもしれない。

 

もしかたら逃げなんてそもそも存在しないのかもしれない。自分が自分で逃げと思ったときにだけ使って良い言葉まである。

 

また、他人の目を気にして、世間体良くするために自我を殺してやりたく無いことをやり人生を消耗する生き方の場合、他人から槍は飛んでこないだろうけどそれでよいのか?とも思う。

 

普段健康だから分からないけど、たまに病院に行くと病気の人とかがたくさんいる。すると、この健康は本当は有難いものだなって思えるし、感謝しようって思う。

 

また余命宣告だとか闘病ブログなんかもたまに覗いてみるといい。いつ自分の身がこうなるかなんて分からないって思えるし、頑張ろうとも思える。

 

それに他人の言うことってその人の価値観から言ってくるものだからあらゆる意見がある。

 

例えば、

若くして死んだ人、周りに無理やり合わせてきて急にガンにでもなった人は

「はぁ、なんでもっとやりたいことをしなかったんだろう。だからアナタは健康なうちにやりたいことをやりなよ?いつ死ぬか分からないんだから。」

我慢して老後を優雅に暮らした人、周りに合わせて無難に暮らせた人は

「若いうちは必死に働きなさい。つらい仕事でもそれも我慢のひとつです。そして貯金をしなさい。そうしてきた私は今優雅に暮らせてます。今後の事を思うなら今は我慢しなさい。」

 

と言うと思うんですよ。

 

正解はどっちなの!?みたいな。ただこれはどちらも正解。

正解があるとするならばそれは「その道を自分の意志で選択してきたか」ってことだと思うんですね。

 

自己決定が幸福度をあげる

 

「年収や学歴よりも自己決定が幸福度をあげる」

という事実が実はあるんですねココに。↓↓

www.kobe-u.ac.jp

 

つまり無理して自己決定を押し殺して無難な年収を稼ぐよりも、仮に年収がそれより低くても学歴が低くても自己決定をした道の方が幸福度が高いということなんですよ。

 

また自分で選ぶことによって、自分から努力しようと思えますよね。意識が「やらされるよりもやる」方がやる気とかが全然違いますから。

 

まぁその分自己責任という言葉も付きまといますけど。この自己責任だって半分は自己責任かもしれないけど、残りの半分はその時の環境だったり運だったりの外的要因だと思うから100%自己責任は違うと思う。(この手の良い例を知りたいのならphaの本をお勧めします、より詳しく言及しております)

 

「クレイジージャーニー」という番組を見てても好きでやってる人は眼が輝いてますし、「楽しいですよ」っていうんですね。たとえそれが大金につながらなくても。これが大事だと最近は思うんです。自己決定で切り開くということ。

 

確かに世間体は気になるが...

 

気になるけども、そのまま我慢して日々愚痴を言う生き方はできるならば、したくはない。

特にこの日本は「出る杭を打ち、同調圧力が凄く、普通ができない人は問答無用に努力が足りない、できて当たり前と言い、逃げは悪い」という空気がスゴイ。

 

それにプラスして普通から外れた人をレールに戻させないような、一度レールから外れた者には厳しい風潮がある。

 

これだと好きなことをやりたいのにやれない人達が増えてしまう。リスクを恐れるから。これは時に生きにくさを生んでるはず。チャレンジに失敗しても戻れたりまたチャレンジできるような環境が生まれないものだろうか。

 

それに「普通」という言葉自体その内容は時代とともに変わるものだし、国によっても違う。たまたまそこに生まれただけで知らず知らずのうちにその普通になれと言われたりする。

 

このように視野を広げると、やっぱり自分で決めたことをやる方が良いなって思える。それが別に大したことじゃなくてもいいじゃん?みたいな。常に意識高くいる必要はないし無駄な時間がもしかしたら無駄じゃないかもしれない。

 

だから別に怠けても良いと思うし、ゆるく生きて良いと思う。時に熱中するものがみつかってその時は夢中になり、真剣にする。みたいな流れで良いと思う。

 

他人の評価は適当

 

これは本当にそう思う。他人は過程じゃなく今その時の結果だけで判断する。だから評価なんてコロコロ変わる。

 

それにこんだけ人間がたくさんいるんだから別に好きにやっていいでしょ?みたいな。みんな思い描く方へ行こう。どうせどんな道をたどろうが100年以内には死ぬ、誰でも。

 

また皆が無職とか怠惰になるわけがない。その中には研究を志すものがいたり、出世コースをたどりたい人がいたり、家族を第一に幸せに暮らしたりと色々な界隈でうまいこと分かれると思う。働かないアリ理論的にいくならば。

 

だから世の中うまく回るような割合に必ず落ち着く。

それに自分の動機で動いていきたいし、自分は自分のために生きたい。いや、そう生きて良いと思う。後は心のゆとりはみんな持っておきたいよねって話。

 

んで、それがダメになったときの他の選択肢も残しておくことも大事かなって思ったり。また社会が許容しておくこと。無職とかを全否定するのではなくて。そうすると生きやすくなると思う。

 

やらないにしろたくさんの選択肢を持つことで、

「今の状況が失敗してもこっちにいけば良いかー」みたいな感じで心に余裕が生まれる。

「今の状況が失敗したら全てが終わる。路頭に迷う!」みたいな状況だとプレッシャーがすごいし、自殺までしかねない。

だから選択肢はみんな複数用意した方が心のゆとり的にも良いと思う

 

まぁこうして書いてるけども自分に言い聞かせてる側面もある。

色々迷うこともあるもんで。

 

まぁこの迷いとかも全部ひっくるめて人生だし。どっかの有名な人が「人生は暇つぶし」みたいなことも言っていた。正解は人それぞれだと思うし。

 

まぁ気楽にいこう。みんなd(- -)いずれ死ぬ。